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エッセイ / 記録

AIをうまく使えない人の特徴

「ドパガキ」という言葉を入り口に、AIをうまく使えないのは人の特徴ではなく条件の問題だ、という話を書きました。AIで安くなったのは生成コストで、検証コストは下がらない。だから出力を丸呑みしてしまう、という構造を考えています。

ドパガキ

「ドパガキ」という言葉が流行っている。「ドーパミン中毒のガキ」の略で、ショート動画やソシャゲのような刺激の強いコンテンツに慣れきって、集中力が続かなくなった若者を指す。

この言葉の面白いところは、主に自虐として使われている点だ。「通知1件で勉強が止まる自分、ドパガキすぎる」といった形で、他人を殴る言葉というより、自分の状態に名前をつける言葉として広まった。名前がついたということは、みんな薄々気づいていたということでもある。

ただ、この言葉が使われているのは消費の場面だけだ。動画を見すぎた、ガチャを回しすぎた、という話にしか使われない。同じ構造が、生産の側でも起きているはずなのに。

「特徴」という書き方をやめる

この記事は最初、AIをうまく使えない人の特徴を並べるつもりで書き始めた。コンテキストを与えない、出力を検証しない、自分の言葉で問いを立てられない。そういうリストだ。

書いているうちに、その書き方が間違っていることに気づいた。

特徴を並べると、人の属性の話になる。「そういう人がいるよね」で終わって、読んだ人は自分が含まれていないことにする。でも実際に起きているのは、環境が変わったせいで誰でもその状態に入る、ということだ。だから特徴ではなく、条件の話として書く。

安くなったのは何か

ここ20年で安くなったものの大半は、探索コストだった。

欲しいものを見つけるまでの手間が消えた。昔は雑誌を買いに行かないと出会えなかったものが、検索窓に3文字打てば出てくる。ポルノがわかりやすい例で、良いオカズを見つけるのに必要な労力は、今はほぼゼロだ。動画も同じで、自分の好みに合うものを探す必要すらない。フィードの側が持ってくる。

探索コストが下がると、消費が増える。それだけだ。悪いことではあるが、構造としては単純で、本人にも何が起きているかわかる。

AIで下がったのは、種類が違う。生成コストだ。

探すのではなく、作るのが安くなった。企画書も、コードも、記事の下書きも、3秒で出てくる。これは探索コストの低下とは質が違う。探索の場合、手に入るのは既にある誰かの成果だ。生成の場合、手に入るのは自分の成果の顔をしたものになる。

下がらなかったコスト

生成コストが下がったとき、一緒に下がらなかったものがある。検証コストだ。

AIに出力させるのは3秒で終わる。その出力が正しいか確かめるのは30分かかる。事実関係を当たり、論理の飛躍を探し、自分の状況に合っているか考える。この非対称はかなり極端だ。

だから確かめない。意志が弱いからではなく、計算が合わないからだ。3秒で手に入るものに30分かけるくらいなら、次の3秒に進んだ方が、少なくとも短期的には合理的に見える。

ここが電卓や検索と決定的に違う。電卓は間違えない。検索結果には出典がついている。AIは、間違っているときも正しいときとまったく同じ顔で出てくる。歴史上はじめて、誤りを含んだまま完成品の見た目で出力する道具が汎用化した、というのが今の状況だと思う。

気づけない方の問題

ショート動画を2時間見た後には、時間を溶かした自覚がある。だから「ドパガキ」という言葉が生まれた。自虐として使える程度には、本人に見えている。

AI出力を検証せずに次へ進んだとき、その自覚はない。

手元には成果物が残っている。文章として整っていて、それらしい根拠がついていて、読めば意味が通る。何かを失った感覚がどこにもない。失っているのは、検証を通していたら得られたはずの理解なのだが、得られなかったものは見えない。

第1層の問題は「やめられない」で、第2層の問題は「やめる理由に気づけない」だ。抜け出しにくいのは明らかに後者だろう。

そしてこちらには名前がついていない。ドパガキという言葉が生まれたのは、みんなが自覚していたからだ。自覚がなければ、言葉にはならない。

仮に丸呑みと呼ぶことにする。噛んでいないという自覚がないまま飲み込んでいる、という意味で。

自分の話

偉そうに書いているが、自分にも当てはまる。

ショート動画は1日30分くらい見ている。トレンドを知らないと話題についていけなくなって困るから、というのが言い訳だ。

ただこれ、書いていて気づいたが、まさに丸呑みだ。何が流行っているかを知った気にはなるけれど、それが誰にどう刺さっているかは何もわかっていない。検証を通していない情報が、理解の顔をして溜まっていく。

しかも「必要だから」という正当化がついている分、始末が悪い。ただ2時間溶かしたなら反省できるが、こっちは反省の機会すら立たない。

意志ではなく条件を変える

ここまで構造の話をしてきたので、結論を「意識を高く持とう」にするわけにはいかない。構造が原因なら、決意では解けない。条件を変えるしかない。

安い報酬が効いてくる経路は二つある。

一つは量。強い刺激に触れ続けると、基準値が上がる。普通の刺激では物足りなくなり、時間のかかる作業の体感コストがさらに上がる。これは触れた総量で効くので、減らす以外にない。

もう一つは位置。同じ30分の動画でも、作業を終えた後に見るのと、着手する前に見るのとでは意味がまったく違う。着手前の消費は、本来その作業に向かうはずだったきっかけを先に満たしてしまう。回復ではなく、代替になる。

だから対策も二つになる。量を減らすことと、着手の直前には置かないこと。片方だけでは足りない。位置さえ守れば無制限でいい、という話ではない。

そのうえで具体的にやれることを挙げると、

  • 安い側に摩擦を足す。アプリを消すのではなく、起動までの手数を1つ増やす程度でいい
  • 高い側の着手コストを下げる。最初の一手を、判断が要らないところまで小さくする
  • 刺激のない空白時間を確保する。退屈は欠陥ではなく、面倒なことを始める動機の供給源だ。ここを埋めると着手そのものが起きなくなる

分かれ目はどこか

ドーパミンも情報も溢れている。同じ環境に置かれているのに、AIで生産量を伸ばす人と、それっぽい出力を量産して止まる人に分かれる。

分岐点は一つしかないと思う。出力を検証しているかどうかだ。

検証すれば成果になり、しなければ成果らしきもので終わる。同じ道具、同じ時間、同じ量の出力で、結果が逆になる。全体としては丸呑みが増えていて、それでも一部の人がさらに伸びている、という現象はこれで説明がつく。

エンジニアがAIを比較的うまく使えているように見えるのも、属性の話ではないと思う。間違ったコードは動かないからだ。検証が環境によって強制されている。

逆に言えば、強制されない領域では誰でも丸呑みする。文章も、企画も、判断も、間違っていてもその場では動いてしまう。動いてしまうから気づかない。

「AIをうまく使えない人」がいるのではなく、検証が強制されない場所に立っている人がいるだけだ。そして今、そういう場所はどんどん増えている。